Charmed Life

物思いの忘備録として。

苦労とは何でしょうか

 


 療育なんて誰もしてくれない環境で育っている。

 衣食住以外のケアなどもしてくれる人は碌に居なかったけれど、誰かが同じ苦労をするべきなど全く思わない。‬

 ‪一時、二言目には「私達の頃は〜」とお説教や愚痴や、自慢話の尽きない小母さま方と働いていた。‬

 そんな話を一日中聞かされていた当時は、まぁ、あの年代の方々は今も昔も過酷よね、家庭を持つのも子供が居るのも想像を絶する大変さだろうから、口が閉じれないくらいは仕方ないのだろう、と思っていた。

 ですが、近頃は小母さま方の言動を、何もかも大目に見なくても良い気がし始めている。

 

 

 

‪ そういう方の話を聞くと、正直、相当手もお金も掛けて育てて貰っている事が多い。‬

 ご‪本人は大変でしたのでしょうが、はっきり申し上げて、生きるのが大変で苦しいのは当たり前ですし。実のある事を身につけて来たなら尚更でしょう。‬

 実際、‪今なら虐待に数えられる話も沢山ある。当たり前だけれど色々な事が出来る人程、色々な苦労が増えて大変だし忙しい。無能でいる苦労と有能でいる苦労は全く別のものだ。

 どちらがより楽かは本人の人生との付き合い方次第であって、無能で何もしないから人生楽だとか、何でも出来るから人生楽に渡って行けるということは無い。

 

 

 

 私は小母さま方と同じ環境では生き抜けない。

 思春期までは人から教育を受ける事に耐えられなかった。今は距離の取り方を学んだけれど、小母さま達と同じ、一方的な教育から逃れられない環境で育ったら正気を失っていたかもしれない。

 でも、一方でこうも思う。あなたは私が甘やかされていると思い込んでいるけれど、私と同じ状況で本当に生き抜けますか、と。

 あなたのように贅沢な教育はして貰えなかったですし、お金の面でも、精神的にも条件が悪かった。

 自力で教育を受ける力を養う為に今でも一人で亀の歩みを続けている。

 けれど、スキルはあなたより低くても、あなたと同じ場所に辿り着いている。それが本当に出来ますか、と。

 助けてくれた人なんて両手で足りるけれど、腐る心身と頭に鞭を打って生きて来た。

それが本当に出来ますか、と。

 それは、あなたにとって本当に甘えた人生ですか、と。

 

 

 

 ‪真っ当な努力を教えて貰って、真っ当な努力の結果が誰にも奪われない環境の中で生かして貰って。

 側から見ればそれは幸運な事にも見えるのだが、三つ子の魂百までという事だろうか。

 機会に恵まれた彼女達の人生にも、赤の他人を鬱憤のごみ箱代わりにするような時間が必要なのだ。

 

 

 いままでの自分の環境にもお世話になった人にも感謝している。別に聖人の振りをしたい訳ではないが、環境が違えば得られなかった物が沢山思い当たるからだ。

 何も与えて貰えず、何を得ようとしても阻まれる事がどれだけ怖く、飢えることか実体験として知ってるから。

 


 とはいえ、私もこうして鬱憤を吐き出す時間が必要なのだ。鬱憤とは人の眼を必要とするらしい。

 

 

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