ロリータと蝶 (1/3)
ここ数年、構って貰っていた人が蝶や蛾に執心している。その人はいわゆるパラフィリアを抱えている人で、ややロリータ・コンプレックスの傾向がある人でもあった。
顔見知りになり月日が経つにつれて、蝶も蛾もその人に直結する生き物、或いは死物になってしまった。
そしてその人の身近な人々の中には青や水色に尋常でない執着を持っている人たちが居た。
青もまた、その人の周囲を思い起こすものになってしまった。
その人との関係が変化を迎えたので、思う事、思い出す事を書き出して、個人的な心境の整理を試みる事にした。
閉鎖的な関係の中で、気付かない間に「自分で分かっているからそれで良い」と思い続けられない状況に嵌っていた。なので、誰が読む訳でも無くとも少し外に出しておこうと思う。
ロリータと蝶に纏わる人として、その人以外に連想するのは作家のナボコフだった。
その人が依存と呼ぶものを振り払うにあたって、途中で放り出していた小説「ロリータ」を読み直すのも、一つ気持ちの整理になるのではないかと思った。凝り固まった自分の主張から離れて、関連する様で実際には関係無いものに触れるのは、心の整理の一歩になるのでは無いだろうか。
願わくば、ロリータも蝶も、その人ではなくナボコフを連想するものに変化すれば尚のこと良い。
以下の長文は書評では無く、唯の個人的な物思いの吐露に過ぎない。
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ナボコフの有名な小説「ロリータ」はロリータ・コンプレックス、通称ロリコンの語源になった。少女への性愛に苦しむ中年男性を書いた作品ではあるものの、ナボコフ自身は少女への愛に憑かれてはいなかったそう。小説「ロリータ」も取材を共にした同年代の愛妻に捧げられている。そして、ナボコフは蝶と蛾の研究も行っていた。
「ロリータ」新潮文庫
著: ウラジーミル・ナボコフ
訳: 若島 正
ハンバート・ハンバートは、父の美しいホテルで過ごした幸福な少年時代に出会った少女・アナベルに魅入られ、親しくなる。だが、望みを遂げられないまま彼女を亡くしてしまう。ハンバートは成長してもある種の少女達をニンフェットと称し、その影を追い求め続ける。
中年になり、大学教授の職を得て下宿先を探す中で、ニンフェットの少女ドロレス (ロー) に出会いアナベルの影を見る。下宿人を経てローの継父となったハンバートが脚色を加えた手記という体で書かれた小説。
で、ロリータというのはドロレスという女性名の愛称の一つ。
十代前半の頃、ローが羨ましかった。家庭が好きではなかったので、元来の家庭の外に連れ出してくれる存在が居る事が羨ましかった。明確にロリータ願望があり、自覚もあった。
ローはハンバートと居ても決して幸せではない。母親の元に居た時以上に拘束される。ハンバートはローを性的な夢想の捌け口にすると同時に、保護者にとって理想的な「かわいい十代の娘」の殻に押し込めようともしてくる。
けれども、彼女は彼女で自身の夢を見ている。ローにとって不可避であったハンバートとの生活は踏み台にして、自分を危険に晒しても望むものに突き進むローの退廃と渇望を、十代の私は理解出来た。
結局の所、ローもロリータ願望を持っていた。唯、相手はハンバートではなかった。
大抵の人が愛するのは、理想像をある程度投影出来る少女ではないでしょうか。お人形や天使の様にきれいだとか、ハンバートの言うニンフェットだとか。
私自身も少女幻想を持っている。揺らがない美点を持ち、暖かい場所で守られている何処か神々しい少女。薔薇色のニンフェットであるロリータの影から、青白くやつれたローが出て来る事のない、幸福な少女。
ハンバート・ハンバートや少女幻想を持つ者はそれぞれのイデアを追い求めるが、子供の方には父性のイデアや庇護者・保護者のイデアがある。
終盤、十七歳に成長したローはハンバートに「良い父親だった」と言う。性的に拘束して連れ回し、ローの体調や精神面を蔑ろにする一方、実際せこせことお世話をしてはいるのだ。
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もう一作、思い浮かべる作品として、少女側からのロリータ願望とも言える物語も有る。
映画版「ロリータ」を観たのと同時期に繰り返し読んでいた。
「九年目の魔法」創元推理文庫/創元ブックランド
訳: 浅羽 莢子
一九歳の夏の終わり、ポーリィは読んでいる本に違和感を覚え、記憶が二重になっている事に気付く。忘れていた方の記憶を辿り、九年前のハロウィーンに迷い込んだお葬式で出会った、チェロ奏者リンさんの存在を思い出す。
読書家の二人は仲良くなり、ごっこ遊びのように自分たちの分身を主人公に据えた英雄物語を空想し、書き進める。だが、その物語が現実と交わり始め……。
邦訳は先ず文庫版、その後、上下巻に分けた児童向けのハードカバー版が出ている。
こちらは中世スコットランドのバラッドを下敷きにしたファンタジー小説で、元々児童書として書かれている。ナボコフのロリータと同じく、家庭が機能不全に陥り、そのまま親元を離れるしかなくなる少女の物語。ポーリィの方は作中で親を亡くしはしないが、自己中心的な両親から拒絶されてしまう。決定的なネグレクトを受けた後もポーリィはリンさんと暮らす事はなく、父方の祖母の元に身を寄せる。
「ロリータ」と大きく違う点として、ポーリィが子供の間はリンさんもポーリィもお互いに性的な視線を持っている描写はない。
最後の方のやや色っぽい雰囲気が、性欲というよりプラトニックな愛情から来る関係性の色香に思えるのは、私の願望なのかもしれないが。
また、リンさんと他の大人の女性の間にはそれらしき含みが有るのだが、児童書だけあってかなりやんわりとしている。十代半ばの頃に読んだ際は気付かなかった。
理想的な父性を持つ人(というか、母性的な男性) 、理解し導いてくれる庇護者、そしてソウルメイトを一纏めにしたような存在との関係を少女の視点から書いている。
「九年目の魔法」は、「ロリータ」に比べると遥かに希望が残る物語ではあるが、少女と成人男性の関係に於いて、お互いが相手に抱くファンタジーと苦い現実を書いているという点で両作は共通しているのではないだろうか。
少女幻想からは離れるが、ポーリィと母親・アイビーの関係にも個人的に色々と思うものがある。歳を重ねる毎にポーリィの言い分にも、アイビーの身の上にも身につまされる部分が増える。
近頃、折々思い出すのは以下の部分。
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「私はほんの少し、幸せが欲しかっただけなのに」アイビーはまた始めた。「この世界じゃ、自分から出てって手に入れるしかないのよ。幸せの方からやってきちゃくれない」
——(中略)——
「幸せは物じゃないよ。お茶なんかと違って、出てって手に入れるわけにはいかない。物事をどう感じるかだもの」
——(中略)——
「そもそもあたしが欲しいのは自分のささやかな取り分だけなのに。誰だってそれくらいの権利はあるんだから。もらうべきものを要求してるだけなのよ」
「もらうべきだなんて誰が言ったの?」ポーリィは腹が立ってきた。「そんな法律がどこにあるの?」
——(中略)——
「母さん、自分の欠点わかってる?守銭奴なのよ——幸せの守銭奴」
(創元推理文庫版 381頁、382頁より)
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物語終盤、忍耐の限界に達したポーリィとアイビーとの会話だ。
ポーリィの言う事は最もだが、残酷な言葉でもある。
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「ロリータと蝶 (2/3) 」へ続きます。